エッセイ 371大分県教育委員会


大分県の教育委員会が教員資格試験に於いて長年に亘り、不正を行ってきたと言う報道には、怒りを通り越して開いた口が塞がらない。
教育の荒廃が叫ばれてから久しいが、教育制度の根幹に在る教育委員会自体が腐りきっていたのでは、日本の教育の先行きは真っ暗であると言わざるを得ない。

報道によれば、委員会のトップが部下に指示して組織ぐるみで試験点数の改竄を行ってきたというのであるから、相当に悪質である。点数を加算されて合格者となった教員が全体の40%に達するとは、どういうことか。
然も、合格点を取りながら点数を減らされて不合格にされたものが多数居るというのであるから、今尚その影響を引きずっている訳だ。

これが日本の教育現場の実態なのであろうか。教育現場で道徳心を教えるどころか、教育の根本を踏みにじっていることになる。出世の為なら何でもやってしまうとは、情けない限りである。恥を知れ、と言いたい。

このような悪習が長年行われてきた根底には、これに関わった人々に身勝手な道徳心の欠如が巣食っているのであろう。
1.自分の息子や娘の合格を県会議員などの有力者に依頼する者、
2.それを受けて委員会に圧力を掛ける有力者、
3.有力者から依頼されて不正を指示する教育委員会指導者、
4.その指示を受けて点数の改竄を行う責任者。

これ等が一致協力しないと、この不正行為は成立しない。

斯くなる不正が露呈した以上、これを正す為のあらゆる手段を講ずることに躊躇してはならない。大分県と言えば、日本の教育の祖、福沢諭吉の出身地であることを肝に銘じて・・・。

先ず、教育委員会の委員長を含む関係者全員の解雇である。
そして、新任者を長とする改革委員会により過去の不正を徹底的に究明する。
不正合格者を解任するとともに、不合格とされた本来の合格者に復権の機会を与える。口利きの仲介を行ってきた県会議員等有力者の名前を公表し、爾今口利きを行わぬことを誓約させる。

先生を含む一般庶民といえども、最低限の道徳心を持たねばならない。自己の利益の為に不正な依頼をすると、恥をかく結果になることを再認識する。県会議員、市会議員等に不当な依頼を行ってはならないのである。

以上が最低限早急に行わねばならぬ問題処理事項であろう。

文部科学省は、教育委員の選任のあり方に関しても見直しが必要である。
今回の不正行為が、大分県だけに留まっているとは、俄かに信じ難い。恐らく日本各地で同様の恥ずべき慣習が根付いているのではないか。

文科省の発想でこのまま行けば、教育委員を教育する為の、教育委員教育委員会を創設して、教育の分野では不正を行ってはならないことを教育する、ことになってしまう。これでは国の行政として余りにも情けないではないか。

ここで、視点を変えて考えてみるのも一案である。
予備校の教師は、カネとコネで採用されるであろうか?される訳がない。何故であろうか。それは、実力がなければ、その職が勤まらないからである。
と言うことは、カネとコネで採用された者でも教員が勤まると言うことは、それだけ先生と言う職業がイイカゲンである、と断ずるのは、あながち暴言ではないことになる。

近年、学力向上を学校で行うことに限界があるとかの理由で、予備校または、予備校の教師にその力を借りるケースが目立つ。その道のプロには敵わないのであれば、それはプロとはいえないではないか。

運動部のコーチを専門家に依頼するのはよいが、本来の教育そのものを外部に依頼するのでは、最早教育現場自体が崩壊寸前であることを示している。その原因の一つが、教員の質であると言われて久しい。
大分県のように教育委員会が自ら教員の質を落としているのであるから、教育を改善するどころではない。これでは将に世界の笑いものになるだけだ。

この際思い切って、護送船団方式の教育の悪平等を断ち切って、優秀な生徒をドノドン伸ばすエリート・クラスの創設や出来る生徒を2段階、3段階進級させる飛び級制度を導入してはどうか。
そして他府県とも積極的に競争させる環境を作れば、コネ合格の先生では勤まらない
ことになり、コネ合格者の居場所がなくなる筈だ。

高校野球の世界では、昔からエリート教育なのである。他校とも競争し頂点を目指すのだから、コネでは選手にはなれない世界なのだ。
私は、小学校、中学校の学校教育にも、ある程度自由競争主義を導入することを提唱したい。それには若干の工夫が必要であろうが、それに不安を訴える向きが在るのであれば、今までの護送船団方式の制度も温存して並立させればよいではないか。
上流に進みたい魚に脇道を作ればよいだけなのだ。

そして、教育委員会の必要性にも疑問が残る。私達の幼い頃には、教育委員会などは存在しなかったが、教育そのものは十分に機能していたのだから。
このような現象が露呈すると、長年の文部省の行政事態に大いなる疑問を感じざるを得ない。


(平成20年7月24日)