エッセイ 514:浜岡原発停止


先週の6日、菅首相が中部電力に対して浜岡原子力発電所にて停止して点検中の3号炉の運転再開の見合わせに加えて、稼動中の4号機、5号機の発電機の停止を要請した。
中部電力は取締役会を開いて9日に、この要請を受け入れる旨決定した。但し、報道によれば停止には幾つかの条件がついているようである。2〜3年後の再開が可能とは、聊か問題があるのではないか。
これに関して、新聞テレビ、産業界などから様々な意見が出ている。

私は、菅総理のこの稼動中の原子力発電機停止の要請は大変な英断であると評価している。
反対意見を表明したものの意見は、何故今の時期で、浜岡だけなのか、また停止した場合の夏場の電力不足を如何補うのかといったものである。そして、疑問を呈しているNHK、民間テレビのコメントでは、日本全体の原子力発電に関する総合的な政策が不透明であることと、代替エネルギーを推し進めると電力費が高くなるのでは、との問題を提示している。
こうした意見も理解出来なくはないが、物事の本質を見極める判断能力が欠如していることを示唆しているような気がしてならない。

先ず最も大事な事は、絶対安全といわれた福島原発が東日本大震災によって、実際に事故が起こったしまった事実があることだ。原子力の場合は、他の発電機と違ってそのリスクの深刻さから、如何なる天災が起ころうとも絶対に事故を起こしてはならないのである。この事故が東京電力は固より、資源エネルギー庁、原子力安全委員会が主張していた安全宣言に誤りがあったことを明確に示したことである。専門の学者である東大教授、それも原子力安全委員会の委員長がその誤りを認めている事実は、今後の安全対策にとって根幹に関わる重要な問題なのである。

穿った見方をすれば、原子力発電を推進し続けてきた過去の自民党政権、地元招致に動いた関係代議士、旧通産省、電力会社等が一体になって行ってきた八百長に近い原発推進行政が、根底から覆ってしまったことが明らかになったのではないか。
この厳正な事実から、人間の無知、過ちを冷静に受け止め、日本人が今回の大事故から何を学ぶことが出来るのかが今将に問われているのである。今回の事故を謙虚に受け止めなければ、全ては始まらないのだ。

当然のことながら、原子力エネルギーの将来を見据えた今後の利用のあり方に就いては、種々の観点から論議を重ねるべきことは必要であろう。
然しながら、その前にこのような状況を踏まえて、同様の事故を未然に防ぐ為に今我々は何をなすべきか。現在日本に於ける原子力発電所が置かれている状況をつぶさに検討し、その抜本的改善が急を要する場合には、直ちにそれを行うことが、何よりも重要であることは、論を俟たないではないか。

何故今なのか。それは首相が言うように30年間に東海地方に巨大地震が起こる可能性が87%であるという数字は尋常ではない。他の発電所の場合は、1%以下であるという。可能性87%の浜岡原発に可能な限り速やかに対策を講ずるのは当然であろう。
何故、浜岡だけなのか。浜岡発電所は地下断層の真上に位置しており予測震源地の真上に立っているという。これでは議論の余地は無いではないか。
そして万一、2年間で建設予定の防潮堤の完成前に東海地震が起きて、浜岡発電所が被害を受けた場合には、これがほぼ日本列島の中心であるだけに、日本全体が沈没に近い状態になってしまう可能性が高いではないか。

然し一方では、浜岡地区の可能性が87%を予測した際の福島の可能性予測が何と0%であったことを聞くと、
現代の地球科学の信頼性はこの程度であることも、同時に認識する必要がある。
今回の1000年ぶりの大震災発生によって、科学者達の見解が大きく変ることが予想される。

とはいえ、大震災という天災から今学ぶべきは、原発事故再発防止に対する万全の措置あるのみであろう。
これを冷静に解析した上で、長年推進を続けてきた経済産業省の官僚を海江田大臣等が説得して、今回浜岡原発停止の要望を強く打ち出した菅首相の判断は極めて明快であり、国民多数の支持を得られるものと思われる。
この要望に対して、憲法上の疑義などを指摘した評論家が居たが、笑止千万である。原発事故という未曾有の国家災難に遭遇した際に政治家がベストと思う政策を打ち出し、民間企業に協力を求めることこそ、時の総理大臣が行うべき政治の真髄ではないか。
但し停止の受諾に当たっては、中部電力が種々の条件闘争を行ったことは、賛成し難い面がある。

将来に対する原子力発電のあり方に関しては、種々の議論があるだろう。これに就いては浜岡原発停止問題とは分離して若干時間を掛けて十分検討すればよいではないか。
その議論の中には、代替エネルギーとして、太陽光発電、風力発電、バイオ燃料、地熱発電、などの技術開発を含めて、原発の見直しがどの程度可能であるかを研究して貰わねばならない。

浜岡原発停止に関しての菅首相の要望を批判する批評家の見識を疑うもう一つの理由は、これが自民党政権下であれば、果たして既存の原発設備の停止を要望できたであろうか、極めて疑わしいではないか。
私は、決して民主党支持一辺倒ではないし、菅首相の支持者ではないが、国家緊急時に時の首相を皆でバックアップして行くのは、国民の一人として当然であろう。全ての政策に関して是々非々であるべきだ。
原発事故が民主党政権下で起きたことにより、原子力発電に関して新たな展開の可能性が期待出来ることが日本国の運命を救うことになるかもしれない、と考えるのである。

自然を蔑ろにした科学者の傲慢さが人間を滅ぼすのではやりきれない。
電力のコスト計算を優先した結果、人間が滅びるのも情けない。
人間は、自然との共存しかないことを、この際根本的に再認識するしか他に方法はないではないか。


(来週は小旅行の予定があり、HPの更新は休みます)


(平成23年5月12日)