エッセイ 920:歴史の句読点


11月29日に中曾根康弘元総理が101歳で他界した。これは歴史の句読点であろうか。
佐藤栄作内閣の後、三角大福中と言われた各派閥の首領が党内勢力の争いの中、順次総理大臣を務め、中曽根内閣まで続いた派閥中心の自民党時代を振り返ってみよう。

当時は、自民党内は群雄が割拠して各派閥を中心とした勢力争いが中心で、経済成長期でもあった為に政策論争よりも公共施設の建設が各企業を後押しした時代であった。
その間、自民党内の動きはある意味で活気があったのは確かであろう。その中一つは、東大を始め一流大学卒の官僚上がりが政治家になり、その中の俊英が総理になるという歴史が続いていた。その種の政治家として最右翼であった福田赳夫が佐藤内閣の後継者候補の最右翼であった。彼は、東大を首席で卒業し、公務員試験、司法試験の成績がトップだったという。官僚たちは、彼には一目を置いていたのだ。

その福田赳夫に挑戦したのが、それまで類を見ない学歴、それも小学校しか出ていない田中角栄であった。彼は自民党内で若くして頭角を現し、大蔵大臣、幹事長などを務めた。彼の人心掌握の手口は抜群で、周囲の関係者やその配偶者の履歴等を皆暗記し、加えて豊富な資金力を活用して支持者を増やしていったのである。
彼が大蔵大臣の時代には、優秀な官僚たちの人心を完全に掌握していたという。
その結果として、佐藤内閣の後継者争いでの福田・田中の争いでは、大半の識者たちの予想を裏切って、小学校卒の田中角栄が、東大首席の福田赳夫を破って自民党の総裁、そして総理大臣に上り詰めたのである。
この事実は、大組織、学齢最優先,、年功序列一辺倒の当時の日本社会・文化に一石を投じて相当なインパクトを与えたことは、間違いない事実であった。

このような筋書きの小説を書いても、誰もが絵空事としか思わない予想外の決着であった。

彼の政治は、日本全国を開発して行くことであった。後日ロッキード事件で逮捕されたが、その手腕は半端ではなかった。彼の後を継いだ大平首相は所謂良識派であったが、田中角栄とはウマが合い、田中内閣の外務大臣として日中国交回復に寄与した。
その後、野党が出した大平内閣不信任案に対して福田派が退席するという反乱を行った為、これが可決されてしまった。その為衆議院が解散総選挙となり、その選挙の最中に大平氏が急逝したのは全くの驚きであった。
現職の総理の死去はその後の政治混乱を招き、その収拾には、いくつものエピソードが残っている。

中曾根氏は、その後も勢力を持ち続けた田中角栄の支持を得て総理大臣に就任したが、その後、己の信条に基づいて政治を行い、自民党の混乱を収束させた功績がある。
但し、目に見える経済対策を行っ手は居ない。
政界を引退した後も、時には政策運用に関して見解を表明したりして、政治に対する関心は高かった。
中曾根氏は101歳でその人生を全うしたと言えよう。

此処まで見ても、当時の自民党の騒動は現在の安倍政権の長期更新という平穏な時代とは、全く異なっていたことを改めて感じた次第である。


(平成31年12月5日)