趣味悠々 990:コロナの影響 3


私の趣味の一つにゴルフがあります。
若い頃から、私は素人ながら幾つかのスポーツをやって来ました。中学時代には、水泳でしょうか。その次がテニスでした。
テニスは中学時代にテニス部に入り軟式テニスに夢中になったりしました。その後硬式テニスに転じたのですが、当時の初任給が1万円に満たない時代に、3個入りのイギリス製のスラーゼンジャーのボールが1200円もしました。そんな訳で高校時代は、小遣いもなく暫くテニスとはオサラバです。

大学に入って、当時兄が入っていた明治神宮のテニスクラブに私も入りまして、硬式テニスで遊びました。大学に友人とは、ここでも遊びました。
然し、ボールを買うお金がないので、会社のテニスクラブが丸ごと入っていた三井物産のテニス・クラブの人達と親しくなって、その人たちに遊んで貰ったりしていました。

当時、日本のテニス界は、加茂、宮城の時代で、田園調布の田園コロシアムで外国との試合、デ杯等が行われまして、学校へ行く途中駅で定期券も使えましたので、良く見に行ったものです。
そんなことで、若い頃に適当に運動を続けたことが、今尚丈夫な身体を保てる理由でしょうか。尤も、名前も「丈夫」ですけどね!

テニスは運動としてもハードでもありまして、会社をリタイアした頃、人工芝コートで躓いて転びそうになりまして、それを機会にテニスを引退いたしました。

一方、ゴルフはサラリーマン時代に始めて、夢中になって未だにやって居ります。
これは会社時代のゴルフ仲間、学生時代の遊び仲間等とのプレイが中心でして、未だに細々と続いております。
ですが、このコロナ禍によって、その機会がめっきり減って来まして、寂しい限りです。昨今の高齢化も重なりまして、ゴルフもこの先が短くなったと覚悟致しております。

ゴルフに関しての私が密かに自慢に思っていることは、私のホーム・コースで2回のホール・イン・ワンをやったことでしょうか。これは技術ではなく単なる偶然に仕業に過ぎません。が、2回とも70歳を超えてからなのです。
それも、同じ8番ホールの151ヤードでした。今でも、この8番ホールの記録掲示板に私の名前が載っているのは、嬉しい限りです。
1回目が丁度車の買い替え時期でしたので、それ以来、私の車の番号は「8151」です。

そんな訳で、もう少しの間、車の運転は続けるつもりです。

以上。


(令和3年5月13日)
次回をお楽しみに