趣味悠々 993:過去の海外旅行 1


Stay Home で外出は当分出来ませんし、高齢化は進んで行きますので、日に日に己の活動範囲が狭くなって行くような気がしています。

そこで、この際己の過去の出来事、経験を振り返って、薄れつつある記憶力を呼び覚まして、旅行記の一部を何回かに分けまして記すことに致します。

私の場合は、仕事がらみが殆どですが、北中南米、欧州などを中心に100回位は海外旅行を行っています。その中でも日本では比較的知られていない南米の実情を中心に、記してみることに致します。但し、今から40年以上も前のことなので、流石に変化の少ない南米と雖も、現代とは懸け離れているのは間違いありません。
この点はご容赦をお願い致します。


ご存知の方も多いのですが、私は30歳代の頃はプラントを海外に建設するプロジェクトを受注する為の営業業務が仕事でした。東京本社の輸出部所属です。当時、プラントの輸出は未だ始まったばかりで、市場は、工業かを進める稍々後進国が中心でした。
南米での計画が予測されていましたので、会社内で営業の仲間達と講師を招いて自主的にスペイン語の勉強を始めていました。

それから半年後にアルゼンチンでの製鉄プラント建設の計画があり、これが国際入札になりましたので、この受注の為に、アルゼンチンに赴いたのです。1971年のことです。

仕事はさておき、首都のブエノスアイレスに向かいました。初回はよく判らぬこともあり、羽田空港ーサンフランシスコーメキシコ・シティーブエノスアイレスと、ジェット飛行機を乗り継いでの長旅でした。ブエノスアイレスの真裏が日本の浜松沖2キロとの話を聞いて、これぞ日本の真裏に来たのだ、と認識した次第です。
後年、回を重ねて慣れて来ると、羽田-NYーブエノスアイレス のコースが早くて簡単なことが判り、このルートに変わりました。

非常に、出張地が遠方なので、簡単に日本と往復することも難しいので、毎回の出張での仕事の計画を入念に進めますので、毎回ブエノスでの滞在期間は、1月程度にはなって仕舞います。
このブエノスアイレスには、その後2年間で5回訪問し、滞在した期間の合計は7か月に及びました。

その間色々なことがありました。それに就きましては、次回以降に記すことに致します。


(令和3年6月17日)